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【名言集】 負けて目覚めることが最上の道

「進歩のない者は決して勝てない。
 負けて目覚めることが最上の道だ。
 日本は進歩ということを軽んじ過ぎた。
 私的な潔癖や徳義にこだわって、
 真の進歩を忘れていた。
 敗れて目覚める。
 それ以外にどうして日本は救われるか。
 今日目覚めずしていつ救われるか。
 俺たちはその先導になるのだ。
 日本の新生にさきがけて散る。
 まさに本望じゃないか。」

──── 戦艦大和乗務仕官 臼淵 磐 大尉 ─────

この言葉の背景を知らなければなりません。
太平洋戦争(1941年〜1945年)の末期、
アメリカ軍は、沖縄への上陸作戦を開始しました。
この頃には日本の敗北は誰の目にも明らかでした。
沖縄を救う為、戦艦大和に
沖縄への出撃命令が下されましたが、
護衛の飛行戦力は皆無に等しく、
生きて帰れない作戦であるのは明白でした。
その為か、
片道分の燃料しか積まれていなかったと言われてます。
軍部上層部は、片道分の燃料を積むように命令を出しました。
この命令は、軍上層部が愚かでも無能だった訳ではありません。
日本全体の事を考えれば、
無駄な燃料を積むように命令はできなかったのです。
軍上層部もギリギリの所で、
泣く泣く非情な命令を
出さなければならなかったのです。
「軍上層部」というと、
安全な所で命令だけを出しているという
イメージが持たれていますが、
実際は自ら前線に赴き、
各地で戦死されています。
よって軍上層部は、戦争の末期には、
大半以上は戦死しており、
急遽狩り出された寄せ集めの人たちで運営していました。
その為、命令系統が麻痺していた実体があります。
自分が辛いと、
相手はラクだと思い込んじゃう人がいますが、
相手だって辛いんです。
片道分の燃料の補給を命令された
連合艦隊参謀小林儀作海軍大佐は、
命令に反するとわかりつつも、
「武士の情けを知らないような事はできない。」との事で
帳簿上は片道分の給油をしましたが、
帳簿に載らない重油を集め、往復分以上の給油を行っています。
大和に沖縄出撃の命が下され、
乗務仕官達に衝撃が走ります。
乗務仕官達も、
今回の作戦は特攻攻撃であるのは
十分認知していたのです。
出撃前、乗務仕官達は『自分達が死にに行く意味』を求めます。
日本の特攻隊が、日本を救う為と信じて、
喜んで特攻していったと思っている人がいますが、
実際の私記とかを見ると、
特攻隊員たちも生きる事を望んでいました。
『生きたい。生きたい。生きたい。』
そう思いながら死んでいったんです。
特攻隊員だって、軍国教育で人の心を失って、
死ぬ事に疑問を持たなかった訳じゃないんです。
生きる事を懸命に模索して、
それでも生きられない現実を直視し、
『特攻する事の意味』を模索したんです。
そして、
士官達が『特攻する事の意味』を模索し激論を交わします。
その時の臼淵磐大尉の言葉が上記の言葉です。
臼淵磐大尉は特攻の無意味さ空しさを直視しつつも、
自分に無かった未来を戦後の日本に託し、
自らの死を受け入れたんです。
そして、1945年4月7日
坊ノ岬沖海戦にて、乗務仕官の9割以上の
3000名を越す人達が帰らぬ人となったのです。
それに対するアメリカの死者は14名。
圧倒的な大差です
特攻と言う部分だけで見れば、
無駄な特攻に見えるかもしれませんが、
でも、彼らの情熱や想いは、
戦後の日本に大きな影響を与えた事は間違いありません。
【編集後記】
ようやくメルマガ第1号が発行できました。
フッっとした名言 心に感じた言葉達
http://www.mag2.com/m/0000173683.html
1号出すのに、半年かかっています。
まぁ自分にしては早いほうかな?!(爆)
絶望先生のメルマガ一応毎週発行できてるんですけどね。
今週の絶望先生
http://www.mag2.com/m/0000165902.html
偉い違いですな。
まぁ名言のほうは絶望先生以上に色々調べて、
見直し回数が半端ではありません。
書いてから数日置いて、
そんでまた見直すというプロの編集みたいな事を。。。(笑)
魂を込めているので!!!
って、まで言うと言いすぎですが、^^ゞ
やっぱ、
数日かけて書きたい意向がありまして。
発行ペースがどうなるかは全くの未定です。ゴメンナサイ

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